過去を振り返る

日記

過去ってどこから振り返ればいいんだろうね。記憶のあるところですかね。記憶に残っているということは無意識に重要なことの可能性があるともいえる気がするしね。ということなら小学校の記憶と主観的にどう感じたかというところから書き始めてみようかな。

過去の記憶とそのとき何を感じたかを振り返って、それを素直に受け入れることが大事みたいですね。僕の生きづらさの一因として、感情を見せることに抵抗があって、自分の中で壁を作っちゃったり、人を頼ることにすごく抵抗を覚えるみたいなことがあります。簡単にいうと心開くまでに時間はかかるし開いたとて開き切らない感じですね。結局一人でパンクして頼っちゃうことが多々あって正直今もどうしたらいいのかわからないんですけどもね。

素直で本心がオープンな人は魅力的だけどそれが苦痛に感じるならそれをしてまで外交的な人になる必要なんてあるのか?って感じちゃうし。答えわからないし。まあ人の快不快の価値観なんてそんなすぐ変わらんし。考えなくていいか。仕方ない。とりあえず振り返るか。

小学生時代

僕の人生の中で一番序列とかカーストみたいなの感じながら生きていた時代が小学生時代ですね。基準はもちろん運動能力ですよ。一番本能に近いんだろうね。

単刀直入にいうと息苦しかったです。正直。グループから弾かれないように振る舞っていたような記憶が強いです。児童会とか人の前に立つ機会が多かった人間の割にそんな感じだったし、みんなは小学生時代にどんな感情をもって何を思って生きていたんだろう。苦しんだ記憶ある人多い気がする。ただ学校に行く以外の選択肢を知らない判断応力のない、言うなれば自我のない小学生時代にどうこうできるわけもなくなんやかんや頑張ってた気がしますね。

小学生生活って後の人格形成に影響与えてるのかな。あまり記憶ないからちょっとわからないな。でもその頃から通ずるものはあるな。思い出した。確実に影響与えてる。この頃から家族のこととか自分のプライベートのことについて話すことがすごい苦手だった。なぜか。コンプレックスだったからですね。今でもコンプレックスをスムーズにさらけ出すことが出来ないくらいには引きずってる。根深いな。家庭環境について書くのってどうなんだろう。さすがに抵抗あるしやめとこうか。悪者とかいないし。

抵抗があるってのはまあ仕方ないとして、プライベートが見えない、底が知れない人なんかかっこよくね???っていう感覚さえあったなそういえば。今考えたらミステリアスな雰囲気まとっている人がかっこいいだけで雰囲気は地で逆行ってるからただの壁作ってるだけの怪しいだけの人っていうね、底尽きないくらい濃い人生生きるしかないっしょ。これはかっこいいな。なかなかいいこと言うね。

かっこいいで思い出したけどイケメンいじりみたいなのあったな。ほんまにイケメンなら喜べたんですけど当時本気で皮肉か嫌がらせとしか思えなかったの辛かったな。まあ今考えたら反応が面白かっただけだと思うけど。

次中学ですね。みんなの黒歴史代表中学時代。そんな黒歴史はない気がするね。先輩クソ嫌いやったくらいかな笑

中学生時代

パッと見、全盛期です。そのころの歪んだプライドがちょくちょく今でも邪魔してきたりするんですね。お恥ずかしい限りですほんと。歪んだ成功体験がバケモノを生み出すってのはそこそこみんなあると思うんですよね。この年齢になってからの成功体験は下積みと適切な努力とか運とかそこそこ理解してるはずだから歪まず純粋な成功体験として受け取れる気はするんですけど。中学生時代なんて無敵のメンタルですからねぇ笑

この頃の自分の感覚を簡単に言うと、「他人にできることは自分なら何でもできる」これです。本気でこれ思ってました。えぐい。おもろい。ほかの生徒にできるもので今自分が出来ていないものはやっていないから、やってみたらそれより高いクオリティだせるとまで思っていましたね。

何かにこれ以上は出来ないってレベルに打ち込んでいたらその分野での自分よりすごい人なんて無限にいるからそんなことはないって理解しそうなものですけど、そこまでの努力はしてなかったですね確実に。そこそこって感じ。

早い段階で全力で何かに打ち込んで結果が出るまで粘る経験だけで青年期に入るのがいいのか、全力で打ち込んでかなわないもの自分にはどうしようもないものがあることを理解して青年期に入るのがいいのか、そこそこに結果を出して変な自分への希望を消さないように青年期に入るのがいいのか。はたまたそれ以外なのか。

自分の場合は一番最後のやつでしたねえ、振り返ってみると。この時代人生のコンテンツなんてのは部活と勉強と人間関係しかないですから、部活はそこそこの運動神経でそこそこの活躍をさせていただき、勉強は塾行かせていただいたおかげで特に困ることなくそこそこ上位にいることができたし、本気出せてないからこそ、今身の程知らずな希望持てたりするんだろうな。良くも悪くも。身の程知らずな願望も一歩ずつできるところから進めていくしかないことを体感レベルで自覚した今となっては身の程知らず、世間知らずな希望を持てることは幸せなことだと思えるかな。

人間関係はどうなんでしょう。みんなにはどう映っていたんかね。主観的にはいろんな人と仲良くできて楽しかった感じがする。めちゃくちゃスポーツしてて坊主なだけでタワシとか呼ばれるし、喋ったことない新生徒会長に体育部長にさせられたと思いきや、気づいたら3年でアニオタ呼ばわりされるし楽しかったね。

高校受験で何を思ったのか自分にしてはチャレンジングなところを直前になって志望しだして、そこからはめちゃくちゃ勉強がんばった記憶がありますね。この頃は自分にとってアニメ全盛期ですから例にもれず立派な一人前の中二病で。今も中二病って言われるなんてのは一旦置いといて、友達に後から聞かされて激謝罪かました出来事なんかもありまして。

簡単に説明しますと、当時心の中に比企谷八幡飼っていまして、内面はひねくれ斜に構えニキだったんですね。そのころ受験前の冬で第一志望に対して純粋に学力が怪しいってのと、滑り止めで内申点的に落ちるわけないだろっていう普通科の対策なんかもしちゃうくらいめちゃくちゃかなり頑張って勉強していたもんで、今考えたらやらんでいいだろって思うんですけど。そんな状況ですから、友達からもありがたいことに頑張れなんて言葉をいただいていたんですね。そんな言葉に対して中学三年生15歳のクソガキはですね、「頑張ってる人に頑張れって言わんといてほしい、これ以上どう頑張るん」なんていう文面でしか捉えないファッキンモラハラチャイルドムーブかましまして、その人それ以降他人に数年間「頑張れ」って言う際に気にするようになっちゃったっていう出来事ですね。我ながらかわいくない嫌な中学生やと思いますね。聞いたとき衝撃でしたね自分のことなのに。ごめんねマジで。

それで第一志望の入試全然できなかったのになぜか受かってしまうんですね。これ面接で受かっただろなんていう頭お花畑な結論に至りましたね。モラハラチャイルドのくせに笑

以上歪んだ成功体験編の中学時代でした。書くまではもうちょっときれいな思い出だったけど書いてみたらなかなかね、全然まだまだエピソード出し切ってないしな。多分もっと知らないところで他人傷つけてる気がしますね。ぜひ我こそはこいつに傷つけられましたという人は教えてください。飲みに行きましょう。こっち来てくれたらおごります。

そんなに頑張っていないのに、狭い環境で満たされちゃって、人の感情にも気づけないくせしてこれが成功体験なんて勘違いしていたらそりゃ根拠ない自信と下らんプライドだけ育って高校時代スタートしちゃうよね。っていう中学生時代ですね。当時は楽しかったんですけどね。思い返すとひでえ。

高校、大学編は次回にしよう。昔のこと過ぎて全然かけないと思ってたけど思ったよりかけちゃったな。はやく回想終わって今のことについて書きたいね。振り返るの好きじゃないんよねめんどくさい。今と未来がいいね。やりたいことがいっぱいあって楽しいよマジ。ほんじゃまた。

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