お久しぶりですご無沙汰しております。こちらは元気に生きさせていただいております。
一通り自分と向き合った後、いざ現実世界と向き合ってみると体感レベルでの変化というものがありますね。まあそれは追々。
今回、タイトルにもある通り逃げること、ぶつかることに関して自分が思うところを書かせてもらおうかなと思います。
なんとなく時代の流れなのか、日本人の個と個の距離感的になのか、もしくは文化なんて関係ないのかもしれませんが、関わりたくない人やストレスのかかる対象に取る手法として、離れる、逃げるというものが正解というような風潮があるように感じます。
これに関して、一つ思うことがありまして。みんな優しくないよなあって。気持ちはわかるんです。どうしようもない人はどうしようもなくて。そういう人に限って話を聞かないというのは限りなく真実に近くて。基本自分のことで精いっぱいだし。究極自分に関係ないし面倒でしかないし。ただ、それを言い訳にして逃げすぎてるんじゃないかって思うんです。可能性すら放棄しているように思うんです。そして最大の問題が、衝突を過剰に恐れて、少しでも気に入らなければ離れるみたいなのが癖になっている人が多いような気がするということです。
自分の未熟な部分って人と関わることで浮き彫りになっていって、それを自覚して、向き合って改善を繰り返して思慮ある優しい人間になれると思うんです。気づけなくてモンスター化しているおっさんがうようよしてるのも事実ですが。
そんなことを思いながら最近は身の回りの問題に対して一回本気で衝突してみようみたいな実験をしているんですね。半分当たり屋というか、テロみたいなことしてると言われても否定できないんですけど。笑
何をしているかというと職場の未熟なおじさん韓国人上司に意見まとめてぶつけてみるっていう。正面からぶつけて大火事にするんじゃなくて、なるべく聞き入れられるように工夫はするのが前提ではあります。あとは英文化してぶつけるだけって段階なんですけど、多分キレると思いますし、彼に受け入れる度量があるとは思っていないんですけど、自分ができる範囲でやってみようかなって。衝突でしか得られないものってあると思ってますし、これすることで仮説が事実になって完全に納得、腹落ちした状態で、疑念なく前進できるみたいな。そんな気がしてますね。
まあパワハラ上司が改善されなければその上に提出して、彼の人生は少し大変になるかもしれませんが、社会にとっても本人にとってもなるべく早く自覚できるのがいいと思いますし。
衝突はちょっと勇気がいるし、それによってある程度現状が破壊されても自分は問題ないという心理的余裕が必要なのかもしれないね。まあ、なんとかなるかっていう根拠ない自信もよし、自分なら別に何とでもできるなんて自信でもいいし、そんな感じの余裕さえあれば積極的に衝突してみてもいいんじゃないかなって。
無駄なエネルギーとか思われるかもしれないけど、何をどう考えたらそんな振る舞いになるのか、本当に想像力が欠けているだけなのか、シンプルに興味ありますしね。笑
ってことで次回はパワハラ上司とのその後を書けたらいいですね。