過去を振り返る4 シドニー・タウンズビル

ワーホリ

滞在3か月時点の感覚

選挙終わって1,2週間たった今当時の自分の行動を振り返ってみてもまあ悪くなかったかなと思いますね。スカして諦めみたいなポジション取るよりよっぽどいい。自分の自由なプラットフォームくらい自分の良心だけに従って生きるのがいいね。こんな僻地ブログにべき論はいらない。青シャツ赤パンの永野くらい本心でやらせてもろてます。

ってことでここからは自分の目の前のことに集中しようぜって感じですね。ってことで振り返りラスト。この三か月間のことについて書きますかえ。

シドニーで一か月語学学校に通い、タウンズビルとかいう地方に住み始めて二か月経ちました。

特にいまのところ目に見えて成果が出せていることはないですが、自分の中ではいろいろ変わってきたなというのを実感しています。この苦しみ期間なかったらこの先も無駄に苦しみながら生きてたのかなと思うとぞっとしちゃうね。なのでもう帰ってもいいです。あいらぶじゃぱん。

一度社会のレールから外れた友達と話してると、この休学期間がなかったと思うとぞっとするっていう意見にどうしてもなっちゃうっていう。僕の場合は結果論かつ親のおかげすぎるからあまり大きな声で言えたものじゃないけど、みんな楽しく生きられたらいいね。もちろん過程に絶望はあったけど。

その絶望とその時に考えたことはターニングポイントになり得るし忘れたらだめって思うんですけど、ちょっと生活がうまく回り始めると結論だけを残してすぐ苦しかった時のこと忘れるんですよね。てかもう結構忘れてるかもしれない。やだもうチープブレイン。それでいいのかもしれないけど、見返せるほうがいいよね。これが良くも悪くも寝たら忘れるタイプの人間ってやつです。ネガティブと楽観的は共存できる。

結論しか覚えてないから結論から話します!!!

自分の人生何のためにあるか考えて、ひたすらそのために生きてりゃなんでもいいじゃん!

どんなにしょぼくてもいいから今の自分自身を受け入れる

自分発信の感情や欲求を大事にする(主観と客観視のバランス)

飛び級は狙うものじゃない、物事には順序がある、一歩ずつ

苦労している時期は後のネタにできるようにできる最善を尽くす

挑戦のための土台作りとリスク管理はしないといけない

今パッと思いつくものでこんな感じかな。細かいのは他にもあるけど。苦しんでた時のメモとか見ようかな笑

振りかぶって大げさに言うものじゃないとか当たり前みたいに感じるかなあ。まあでも僕にとっては自分で見つけたこの現段階の答えは今この環境で楽しく生きる上で大事で。これが経験則って感じなんかな。お酒とか飲みながらみんなの経験則とかポリシーみたいなの聞きたいわ。身近な話とかよりこういう人生スケールの話するのがおもろいんよね。ほんとに帰ったらみんな飲みに行きましょう、暑苦しい抽象と具体を往復するトークがしたい。あんまりマジな顔してそういう話できる友達って多くないよなあ。

英語でこういう話できたらもっと楽しいんだろうな。迷ってきたな。自分に英語はいらないスキルと思っていたけど全然違う環境で育った人の根底にあるものとか価値観おもろそうよな。結局自分で見つけた答え以外なんてものは装備にしかならなくて、自分の一部ってレベルにはならないと思ってるからね。ほんとに娯楽とか好奇心のためにここから英語ガチるのか、、、優先順位冷静に考えてみます、これ以上やること増やすとか生活回らないんやが。毎回毎回切り捨てるのがツラい。優柔不断というか、強欲というか、わがままというか、身の程知らずというか。笑

話戻して、ここに至る経緯を書いてくぜい。忙しかったらこういった抽象的なこと考えることないと思うから、ぜひ、動こうにも動けなくて暇を持て余して病み散らした僕の頭でも覗いてってください。ちなみに今人生はマジ楽しいです。宗教じゃないです。

in Sydney

到着した頃、動画回してみようとか思ったりしたねえ。自分でも何が面白いのかわからなさ過ぎて一日でやめたわ。容量食われただけ。ってのは置いといて。

この頃自分の中に定めていた目標がありました。

希少価値高い、差別化したワーホリにする。毎日何か挑戦する。帰るまでに何か数字で語れる成果を残す。

こんな感じのこと考えてました。人生楽しないやろ絶対。ちなみにこいつら今息してません。全部捨てました。どうでもいい。

この背景はもちろん留年をひっくり返すためってのが大きいですね。背水の陣。もう後がないっていうギリホリ。年齢制限ギリギリで来ることをギリホリって言うけどこれはこれでギリホリだろ。そんなことないな、多少周りから遅れはとれど、まだまだ20代はこれからだし。

自分的にはここに賭けるくらいの気持ちだったけど、ワーホリ来る人なんていっぱいいて、来てバイトみたいなん一年してなんの意味があるんだとか、英語は別に日本でもできるとか。そんな風な海外挑戦したことない人から思われることを自分自身が考えてましたから。今後のキャリアにどう経験を生かせるかでワーホリを使うことを考えていました。

上の目標の中に英語ばり話せるようになるっていうのがなかったけどこれには理由があって、そんなん当たり前やろがいって思ってたからですね。怖い。ウザい死ねばいい。意識の高さだけが天上天下唯我独尊してた。お前留年してるくせに何言うてんねん案件すぎる。

それで言うと、今の僕の英語に対するモチベはあんまりですね。ちょっと上で触れた通り。今を最大限に楽しく快適に生活するために英語は必要だからもっとレベル上げないとなと思うけど、自分にとっての快適なコミュニケーションスタイルが日本的というか。基本干渉しない感じ。雑談への苦手意識がどうにも消えなくて。基本個人に対しての興味がないから、雑談はしないといけないものっていう感情が抜けなくて疲れちゃう。日本語でも同じ。

根拠もなくちょっとばかり日本語への自信があるのもあって、同じレベルの英語を扱えずストレスを感じ続けないといけないの無理すぎるというのもあって将来日本に住みたいなって感じです。

話戻しまして、こんな感じのやべえ目標を持った状態で語学学校に一か月海外友達作りに行ったら日本人だらけだったんですね。学校では、日本語わからない人の前で日本語で会話するのは失礼だから”ルール”としては学校内は英語で喋りましょう、なんて説明を終えたのち、クラス配属されて休み時間が来まして。いたるところで日本語で会話してるんですよね。まあ会話してるだけならまだしも、クラスまで超えて日本人グループみたいなのがあったんですね。

意識上昇気流かつ、一か月しか学校に行かない余裕のない僕はこの現実を受け入れられなくて、環境に対してとんでもない嫌悪感を抱きました。

今の自分的には、日本人同士で遊んだりすることもいいと思いますし、助けてもらったり助けたりしながら上手く生きることはめちゃくちゃ大事だなと思います。というのも、英語の上達のためにそんな焦ってもいいことないですし、言語学習だけが目的じゃないですし、経験もスキルも大した言語スキルもない状態できたら最初の一歩は助けてもらうしかないからですね。一歩ずつってやつです。助けるという言葉を比喩なしに使わないと、ただ生きることだけでも最初は難しい環境ですから。仲間意識、帰属意識高まってて楽しいしね。

最初の嫌悪感のせいなのか、日本人同士の関わり方が一番わからなくなりました。正直気まずかったですね。彼ら自体はほかの国籍の人たちとも仲良くやってましたし、コミュ力が高いというのか、言語問わず楽しそうに話してるんですよね。だから普通にすごいなって思ってるんです。

ここで初めて自分の今までのコミュニケーションの楽しみ方が変ってことに気づいたんですよね。僕のコミュニケーションって仲いい人相手には、どうでもいいことのつぶやき、ひたすらボケツッコミ、議論が主で、関係性が浅い人とは心開けなくて情報交換しかできないクソつまんない人になるんですよね。相手の質問に対して無難な正解を探そうとしちゃう感じ。本当のことを話すとどこから話さないといけないんだってなることが多すぎる。端的に言ったら抽象的すぎて何言ってるのかわからないみたいな。難しい。どうしたらいいのかわからない。

プライベートの部分を無理に変えるものじゃないと思ってるというか、自発的に変えようと思ってもストレスでもっと嫌いになりそうなのでこのコミュニケーション方法は変えるつもりもうないかなあ。言い訳でしょうかねえ。だから多分もう一回過去をやり直したとしてもあの環境を純粋に楽しむのは難しかったのかなって思うね。

唯一今なら比較的うまくやれそうだなってのは、何も気にせず関わっていたい人とだけ関わっていくってことかな。シドニー時代の途中は正直劣等感で辛かった、なんで純粋に楽しめないんだろうって思ってた。そんな状態でも仲良くしてくれた彼らとはまた戻ったときに会って遊びたいね。多分今の僕は全然前より心から楽しめる気がする。そんでめちゃくちゃ感謝してる。

自分の適応能力はそこそこ高いのかなとか思ってた時期もあった。特にカンボジア以降。全くそんなことなくてむしろ逆だったのはびっくりした。ただただ一時的な耐久力が高いだけだった。この一年は海外かぶれになって、外国人マインド手に入れて過ごそすぜ!へけっ!って感じで来たけど自我が想像以上に強くて笑

そんな自分自身を英語で語れるようになればもっと楽しく生きていけそうかもね。将来使う予定あんまりないからコスパ悪い。それが出来た場合における、この短期間で得られる経験と人脈の方が価値高いのかな。その可能性はあるな。やれるだけやった方がいいかあ。

遊んで、学校いってモヤモヤして、一か月しかないって焦って英語勉強してたらシドニーの一か月は終わってました。時々ミートアップに参加したりしてリアルな英語の聞き取れなさに絶望してみたいなこともしてましたね。

そんな生活をしている間、常に自分にとってこの状況はいいのかというのは考えていました。ある程度友達が出来て、日本人の知り合いはみんな日本食レストランで働いていて、生活しようと思ったら日本人の伝手で楽しく過ごすこと自体はできるといった環境でした。今考えれば、困難を選ぶことはできる環境で、簡単に生きようと思えば生きることもできるという、リスク管理もできて、挑戦もできる、結局自分次第というかなりいい環境ではあったんですが、この環境では自分は甘えてしまうということで、学校卒業したら日本人少ないところに行ってみようと思ってすぐにタウンズビルとかいうオーストラリアのそこそこ田舎に行く決断をしました。

in Townsville

なぜタウンズビルに来たかを話します。エニタイムがあったからです。以上。アラシタ。

冗談抜きでこれっすね。まあさすがにそれだけではないんですけど、一番最初の候補地の絞り込みはこれですね。想像以上に小さな町にエニタイムってないんすね。日本も同じか。今となっては解約したいね。本気で。高い。無駄に。ほかにもっと安くて広くてきれいなジムある。年間で契約しちゃったから解約しようと思うと追加でキャンセル払わないといけなくてやめようにもやめられない。泣き寝入りして筋トレしてます。

あとはある程度飲食店あるか、どうしようもなかった時用、リスク管理で日本食レストランがいくつかあるかっていうところも見ましたね。それだけです。あとは冒険だあってノリです。ちなみに今そのどうしようもなかった時用と言っている日本食レストランのキッチンで働いてます。その話はあとで。

グーグルで検索してもまともにタウンズビルでワーホリしている人の情報が出てこなかったんですよね。だからこの地域が接客業で2ndビザの権利を得られて、今多くのワーホリの人が国籍問わず来ていることを知りませんでした。働き手不足でローカルジョブ(現地の人も同じように働くとこ)の倍率も大都市に比べたら低いんじゃね?とか思っていた自分をしばいてやりたい。

なんて感じで行先を決めて、最初数日間家が見つかるまでの滞在先を予約して、ゴリゴリの早朝便でシドニーからタウンズビルの飛行機に乗りました。

初日の衝撃は忘れないと思います。空港で見たアジア人は2人だけ。空港をでてバスはどこから乗れるかを職員に聞いたところ、週末で数時間に一本しか走っていないからタクシー使った方がいいよって。

なんてところに来てしまったんだと思いましたね。ほんとに空港ある街なのかこれと思いました。

電車はなし。バスは平日で30分~1時間に一本。その辺のおっちゃんにバス乗るときにICカードみたいなのいる?どこで買える?って聞いたらバスは現金しか対応してないよっていわれ。これはまずいかもしれないって久々の危機感を覚えました。どこ行くにしても遠すぎる。使えるのは課金して使うLOOPみたいなやつだけ。チャリ早く買わないと生活自体始まらないなと思ったと同時にカンボジアでのチャリをいかに安く借りられるかっていうミッション思い出してわくわくもこみ上げてきました。

ちなみにバスは今はクレカで乗れます。ほんとに最近導入されたみたいです。でも乗り降り時にタッチなんて便利なシステムではなく、乗る際に目的地を伝えて先に支払いを済ませて、目的地が近づいたらボタンを押してそのまま降りるシステムです。乗る人が多いときめちゃくちゃ時間かかるのは見ていて面白いです。

そんな街に勢いで来たんですけど、率直な感想としては、はやく出ていきたい!でも来てよかった!です。

この街車ないと基本外出する気起きないんですよね。自転車って移動中暇すぎる。景色キレイとかよりしんどいが勝つので僕はサイクリング趣味にならないなとこの二か月で悟りました悲しい。知らない場所に行って遊ばないと異国の地に来たのにもったいない感じがするので、ある程度この街を満喫したら出ていきたいなっていうのがはやく出ていきたいって気持ちになってますね。逆に車持ってたら優勝できる可能性がある。仕事の幅は段違いに増えるし、建設現場の給料めちゃくちゃいいし。早くお金貯めて車もって現場行こうかな。それしてたらシドニー戻れないな。でもちょっと魅力的すぎる。一応建築専攻だし。一応。

来てよかったってのは、こんないろいろ考えさせてくれて、悩ませてくれて、この先の人生の方向性を考えられるくらい自分に向き合わせてくれてありがとうみたいな感じ。娯楽が少ない、逃げ道がすくないからこそのいいことはやっぱりあって。その分苦しかったけど。だからこそ今人生楽しいって言いきれるの最高だよな。まだまだ頑張れるしやりたいことが多すぎて困る。

苦しかったころのこと書こうかな。来てからの2週間は生活基盤を整えることと家探しで手一杯で体力的に大変でした。家を探していたエリアが田舎の中の繁華街じゃなくて田舎の中の田舎だったので、ほぼ毎日誇張なしで25度くらいの鬼日差しの中3時間以上歩いてました。交通が絶望的すぎるせいでシェアハウスの内見でへとへとになってました。

家が見つかってからは仕事探しのための準備を始めました。履歴書づくりをシドニーにいる間にサボっていたおかげでだいぶ時間無駄に取られちゃいました。このころRSA(お酒提供の資格)のオンラインコースもやってました。オンラインむずいらしいみたいに言われていて、めちゃくちゃ真剣に受講したからテスト受けるまでに1週間弱かかって、やっとの思いでテスト受けてみたら参考資料見ながらとかじゃなく、何にも見ずに100%正解しないと終わらないみたいで。絶望しながら頑張って一通り答えたら80%しか合ってなくて。

え、どうしたらいいんだ。マジで。とか思って間違えたところ確認して何回も受けるしかない、取らない選択肢ないし気合で覚えてなんとかするしかねえって二回目受けたら問題全く同じっていう。一週間返せよ。なんも理解しなくても一日でとれるやないかい。

その後のビデオ録画パートはシチュエーションロールプレイで、自分で受講の記憶をもとに全部スクリプト作ってやってたら大変やけどchatGPTなんてものもあるし適当に作って読み上げれば資格とれちゃうっていう。無駄なくすれば2日で取れるものを1~2週間かけた僕の時間返してくれみたいな。

家探し、自転車探し、履歴書作り、資格取得これだけで一か月弱かかってしまいました。そこからやっと本格的に仕事探しを始めました。よくあるレジュメ配りってやつです。とりあえず自分のバイト経験と、なんかかっけえよなって理由で飲食、特にカフェかバーで働きたいと思って始めました。店自体は一日に平均20程度回りました。店のひとの対応は結構優しくて、いい会話練習だなあとか思いながら楽しんでましたが、やっぱり神経はすり減っていくので次の日とかほんとに行きたくないって思って一日部屋でくたばってるみたいな日もありました。計50くらい回ったころ、違和感を覚え始めました。

一件も連絡来なくね?

どんなワーホリしているYouTube みてもトライアル0は見たことねえし、実際のレジュメ配りの様子の動画を見ても自分と変わらないレベルの英語かそれより低いレベルでも連絡ちょっとは返ってきてるのにどうなってんだ。これが都会と田舎の差?もしかしてとんでもない場所に来てしまった?

頭で次はどうこう改善しよう、とかiPadでセルフプレゼンとか始めたらウケんじゃね?とか考えたりもしたのですが、一旦軽く心折れてオンラインでの応募とかしてみるかと切り替えてこの週はオンラインで頑張ろうと心決めて頑張りました。オンラインは履歴書だけじゃなくてカバーレターまでそれぞれに対して書かないといけないのでたくさん応募するのは大変でした。

結局10ちょっと送った時点でトライヤルもなくてコスパ悪いわと思ってやめました。

このころ、病んで絶望していたのもあって、初期費用がほぼ尽きて次の家賃振込とクレカ引き落としが足りていないことに気づいていませんでした。親を頼る以外に選択肢がありませんでした。

この時ほんとに情けなすぎ、悔しすぎて図書館で泣きそうだったな。自分にとって高い目標に挑み続けることは悪いことではないけど、この資金パンクまでに一回もリスク管理と考えていた日本食レストランや韓国人のハウスメイトが働いていた韓国料理屋にレジュメ配りはしていませんでした。この一年は初期費用以外は経済的に自立して生活するって決めていたのに、可能性の高い取れる選択肢がまだあったのに、取り返しのつかない状態まで現実みないで何とかなるだろうというノリと勢いで行ってしまった自分が許せませんでした。限界のミスではなく傲慢さが招いた判断ミスというのが最高に経営センスなくて耐え難かった。

そこからいろいろ考えを改めましたね。劣等感との向き合い方とかも考えました。どうやったらつらくなくなるかも考えました。根本の部分、なぜその職にこだわっているのかも考えました。自分がここに何をしに来たのかも考えなおしました。

浮上した問題は、客観視ばかりして、すべての判断基準が、~した方がいい、~すべき、という過去の経験から来た、いわゆる”常識”というものだったこと。そして、結果として自分の感情がその判断に逆らう形で出る、例えばしんどいからやりたくねえななんてサボることはあっても、”自分にとって楽しいから”みたいなものが判断の理由となったり、それ自体が理想になったりすることがほぼほぼなかったことです。

ここには無意識の自己否定、というか自己消失と強すぎる理性があったと思うんです。自分の考える客観が示す善悪だけが自分の理想を決めてきたということです。感情の無視です。これで生き残るには最強になるしかないんですね。自制心と責任感自体は全くといっていいほど強くないのでその理想が叶うことは基本なかった人生でした。ただただ毎回苦しんでいるだけ。

そこから自分の感情、楽しそうとか、好奇心湧くとか、それを出自とした活動を始めてみました。このブログはその一つです。なんやかんや嫌いになれない建築も。そうやってただただやりたいってことをバランスよく生活に取り入れていくことで、人生自体、生活自体が楽しくなって、やらないといけないことへのモチベーションもあがり始めました。これが趣味の重要性ってやつかってな感じで実感しました。

この変化はやっぱり暇な時間が生み出したと考えると、休学してよかった、知り合いも、知っている日本人すらもいないこの街にきて良かったなと思っています。この22年が作った自分自身への絶望を乗り越えた今、やっとひたすら行動を起こし続けるフェーズに入れたなって感じがします。そのフェーズに入る以前で行動し続ける人というのは僕にとっては苦しそうに生きているように映ります。これが真面目な人ほどってやつかな。クソ真面目なもんで。笑

てな収穫が3か月であったもんで、後この街でやりたいことは今後シドニーに戻ったときに心の底から楽しめるようにお金と、英語と、職歴面で準備すること、ちょっと観光すること、あとはこのブログと建築と、なんかたまたま機会があって始まりそうなバンド活動かな。多すぎる。絞れない。これは僕の今の課題。正直な自分は思ったより欲張りだったみたいで。笑

こんだけあったらいっぱい働いてる場合じゃないんだよな。11月にシドニーに戻る計画だからあと4か月くらいか。なんか時間とお金足りないな。結局セカンドビザ申請の可能性まで出てき始めたかもしれない。えええみんなの卒業式行きたいんやが。どうしよう。あ、一時帰国なんてものも、、、お金もったいない。。。同じお金使うならそのあと全国各地お友達行脚決行した方がおもろそうだしな。

あ、苦しんだそのあと書いてなかったね。結局そのあと、しょうもないプライド捨てて、一歩ずつ職歴を作っていこうと思って今は日本食レストランのキッチンで働いてます。ほとんど韓国人で仕事中に日本語を使うことはあんまりないね。今の考え方的には別にあってもいいんだけど。滞在延びる可能性出てきたし英語またやろうかなあ。

カフェは職歴と練習になると思ってボランティアで高齢者施設のボランティアでの募集があったから応募して、あと必要書類出せば始められたんだけどワクチン接種証明もってなくて結局放置しちゃったのは今となってはちょっと後悔かも。なくてもいいかくらい聞けばよかった。まあまた別の機会を探そう。

こんな感じで今はなんやかんや楽しく生きてます!!!来てよかった!!!

次からやっとリアルタイムの記事が書ける!!!嬉しい!!!振り返って書くのは大事だと思うし意外と気づきがあるからこれはこれでいいんだけど大変なんよな。これ書かないと二年目滞在の可能性は復活してなかった。さあこれからどうなるかね。ちょっと今までより長い文章になったけどがんばって読んでください。笑

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