過去を振り返る3

ワーホリ

まこと人生史B.C, A.Cの今日はA.Cについて話そうかと思います。あ、Before. CambodiaとAfter. Cambodiaで分けさせてもらっています。

東南アジアってちょっと癖になるよな。

カンボジア

初日からなにがあったか具体的に時系列で書いてみようかと思って書き始めたらあまりにも量が膨大だったのでまた今度別でエピソードトークとして出します。ってことでざっくり話します。

某NPOのプログラムでカンボジアに夏休みの1週間を利用して行きました。就活ではなぜかカンボジアにボランティアをしにいったという人が湧くだとか湧かないだとか、ちょっと就活したことないのでわからないんですけど。よくあるのは学校建設のボランティアですね。全然カンボジアのボランティアの現状とか正直知らないので、同じようなNPOいっぱいあるしお前らどんだけ学校建てんねんと思ってるなんてまあ言えないか。思ってるだけ。印象だからね。仕方ない。僕は学校建設ほぼしてません。

実際何をしてきたかというと、初日にミッション与えられたものをチームでこなす。次の日から2日間市場調査などをしてビジネスモデルを企画、次の日に実践、翌日に振り返りをして飲み会して終わりみたいな感じです。移動と、最終日の学校建設含めて1週間です。これだけで実際に人生の転機になりうるんだから経験とか環境の変化は積極的にしていきたいって思うよね。

渡航前に自己分析させられて人生の目標とか、夢とか考えろって言われてて。その時のメモとかあるかな。もってきてなかったわ。覚えてる範囲でいいか。自分の周りの人だけちょっとでも幸せにできたらいいって確か書いた記憶がありますね。書いてること自体は悪くないんですけどね。あまりにも自分自身に絶望していたので自分とかどうでもいいから周りにいてくれる人だけでも幸せにするために生きようって本気で思ってました。

だからカンボジア活動中夢とか聞かれる面談あったりはしたけど全然盛り上がらず。笑

カンボジアに来たのも純粋にプログラムが面白そうっていう好奇心で、行かなかったら後悔しそうだなって思っただけだし。なんか夢とかないのって言われたときに周りの人のために生きてその人たち幸せにできたらなあ、具体的なのはないですねって答えて。急にこんなん言われた方からしたら背景怖くて深入り出来ねえよ。申し訳ないよなもはや。

今その思考を評価するとしたら、お前はそのタイプじゃないから無理wwwwwってなとこでしょうか。実際無理だったし、てか2年の秋の結果で無理って知ってただろそれ。

今は自分が幸せであれば自然と周りの人は幸せになるかなって。こうやってやりたいように文章書いてたら共感してくれたり、面白いって言ってくれたり、ちょっとは幸せとか楽になることに貢献できるかもなって感じに思うね。ここの考え方は人によって違いそうだしこれが正解かは知らんけど少なくともカンボジアのころに比べたら自分的にいいからこれでいい。

ほんで話戻しまして、そんなカンボジアに目標もなく来た僕はチームに貢献できればいいなと思って、自分にできることを見つけて実行しようと考えながら初日のミッションを終えまして、みんな能力も行動力もすげえなと思いながら次の日、72時間でビジネスを立ち上げるメインイベントが始まりました。

最初にまず、初日の所感と面談を通して運営側が決めたチームに分けられました。ここが今考えたらめちゃくちゃありがたいけど当時マジかって思った部分で、僕が分けられたチーム仕切りたがり0人グループで誰もリーダーしたがらないメンバーだったんですよね。大変と聞いている72時間インターンを自ら選んでカンボジアまで来るような人間たちなのにそんなことある?って感じではあるんですけどそんなこんなでリーダー引き受けちゃいまして。久々全責任を負う立場について頑張らないとやべえなと思いながら始まりました。◇若のチーム対僕のチームとかいう、なんでカンボジアで立命対決してるんだって感じでしたね。ガチ草。

結果はギリ赤字やったっけな、全然自分の能力のたりなさを自覚する形にはなったんですけど、その過程が馬鹿みたいにきつかったけどあまりにも楽しくて。失敗からああすべきだったこうすべきだったとか商売自体の反省は数えきれないくらいあるけど、それ以上に自分で責任を負ってチームで一緒にビジネスモデルを考えて商売をするという過程が、自分にとって熱くなれる楽しいものって知れたことが自分の中で一番大きかったです。

そこから自分の未来にちょっと希望が見えはじめました。別に建築学科に入ったからと言って建築で生きていかなくてもいいんだとも思えました。そして、直後に学生団体でツリーハウスを建てる最後の合宿があって、それをその時の自分にできる範囲で人並みに頑張れた手ごたえがあったこともあり、より一層早く学生やめて社会に出たいと考えるようになりました。

その後の大学生活、ワーホリまで

とりあえず卒業はしないとなって、このタイミングでやっとちゃんと思い始めました。笑

この学期はちゃんと単位を取ってきた人たちは研究室配属があって、ほとんど授業ないから単位を取りこぼした人はちょっと忙しいみたいな学期でして、昨年秋2単位とかいう最高にロックな単位数を記録した僕は再履修だらけで下の学年と一緒に受ける授業がほとんどでした。学生団体でなまじ知名度があるぶん気まずい。おもろい。笑っていただけて嬉しい。笑ってるのぼくだけですか。そうですか。

そのころ、ワーホリが決まっていて、あまり親にも頼りすぎるのもよくないと思って急に週4とか週5とかでバイトを入れ始めましたね。あとはひたすら英語の勉強ですね。留年した分ワーホリの休学で何かわかりやすい結果を残さないといけない、取り返さないといけないという気持ちでいっぱいでした。

ワーホリで数字で分かる結果をだして、自分の価値を高めることが出来れば留年のマイナスを取り返せて就活むしろプラスまでもっていけるはず、まともな社会人になれて彼女にも迷惑かけてきた分取り返せると思って意識全部ワーホリに照準合わせてました。そしたらフラれた。ええ?

いやまあ当然っちゃ当然なんですけど、食らいましたね。良くも悪くもカンボジアを経験してモチベーションは自分の中にあったので、頑張る理由がなくなったとかはなかったんですけど、申し訳ない&再履修たち気まずすぎるだろって感じでしたね。

そりゃ向こうからしたら自分がゴミカスみたいな時に辛抱強く一緒にいてくれてたのにちょっと人生希望みえたら彼女そっちのけで自由にやって、挙句の果てに授業はまあまあの頻度で僕いないし。なんならまだあるね、そんな恩だらけの人にずっと一緒にいるよりも基本はやっぱり自立して、自分を中心に据えて付き合いした方がいいとかモラハラニキ出ちゃって、ゴミ時代頼るだけ頼ってある程度復活した瞬間価値観主張しだしてちょっと距離離すって勝手すぎる、わかる。間違いねえ。好きだったのは好きだったんだけどね。

自覚ある分でそれってとんでもねえよなあ、ぜったいまだまだあるぜ。怖い。自分が。

これを機に人として欠落していた部分への自覚が出てきて、そんでやっとひとつずつ向き合い始めることになりました。そりゃ感謝しかないよな。まず、身近な人は大切にしようねとか恩はちゃんと返そうね、裏切らないようにねとか、人間関係の初歩すぎるところですね。今までどうやって生きてきたんだマジで。限界すぎるだろ。

自分が別れたのと同時期に別れた人間が2人ほどいまして、その時に僕たちは自分のことで精いっぱいだから無理だろみたいな話をした気がするけど実際問題どうなんだろうな。

人生の目的の設定に問題があるのかなって思うね。社会的な成功を目的にしてたら納得なんだけど、今の自分は好奇心満たしながら楽しいことして幸せに生きることが目的だから余裕ないとかじゃなくて楽しいことに全部エネルギー割けるのかなって思ったり。やりたいことと楽しいこと多すぎて配分は小さいけど。

まあ自分中心で生きることは自分にも相手にも求めちゃうからモラハラ発言(?)は本心ではある。だから仕方ないと言えば仕方ない気がして、然るべき現在って感じがする。

そうやっていろいろ考えて気付いたらシドニーにいましたね。

思ったより文字数いっちゃったのでワーホリ後から現在までは次にさせてくだせえ

余談

学校建設ちょっとだけ行ったけど小学生の体力まじでどうかしてるよあれ。あのテンションで遊ぶの30分が限界よ。控室とかないから逃げてもみつかって絡んでくるから終わらんのよね。ボランティアの人たちマジ尊敬する。

自分自身子供嫌いではないんやけど、子供苦手って公表したら人じゃないみたいな、人格に問題がありそうって思われそうよね。

それと同じで犬無理っていったらそれよりもお前人間じゃないみたいな感じで人権なくなるよな。あえて言うよ、犬無理です。見る分にはかわいいと思ってます。舐められるのだけはちょっと無理まじで。人権だけははく奪しないで欲しい。隠れイヌムリシタン絶対いると思うんだよ。人それぞれだから犬苦手族を迫害しないで欲しい。あとお前ら犬好きはステータスじゃねえからな???振りかざしてくんじゃねえ!!!振りかざしてきた人は許せないので猫動画送ります。以上です。

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