高校時代、大学時代編です。ちなみに大学在学、休学中です。22歳です。今月誕生日です。時の流れの速さに恐れ戦いていますがこれからもっと速くなるらしいですね。年を重ねるごとにその一年は22分の1、23分の1、、、みたいな感じで相対的に小さくなっていくからみたいな考え方はすごいへぇって感じがする、語彙力どこいってん。
まあそんなこんなで今日も自分語り許してくれよな!等身大で勝負させてもろてるんで👊
書きたいから書くだけです。はい。おまえらなんてのはついでです。
嘘です。ごめんなさい。いっぱい見てほしい。これはこれで嘘やな。ただまあおもろいと思ってくれる人がいてくれたら嬉しいし、何らかの形で今後もかかわっていけたら嬉しいね。やりたいことだけはいっぱいあって未来楽しみなんですよね。そこに関わってくれる人が増えたら嬉しいみたいな気持ち。同時に何個もできるほどの土台はないからこの一年は修業期間。
高校生編
もう何年前ですか、16歳って。6年7年くらい前か。まじか。小学校なら入学して卒業してるやん。今から7年後って30やて。結婚とかしてんのかな。誰やねん無理とか言うたやつ。知ってんねんそんなことは。
そんなに成長できてるかと聞かれたらまあ、成長出来てるなあ。って意外と答えられるな。特に功績があるわけじゃないけど、内面に限った見えないものの話なのに断言できるってなんかすごい。ってことで高校のお話。
高校は公立の校則厳しめそこそこ伝統ある系進学校ですね。自称か公称かはちょっとわからないですけども。入学して初日からみんな同じ中学だった人とか同じエリアの人たちで固まっていやがってなんだこいつらと思ってましたね。僕がクラスで元から知っている人なんて女子2人しかいなくてずっと一緒にいるのも申し訳なくてどうしようって感じでした。おかげさまで初日から昼ごはんは教室出て行って隣のクラスで食べちゃってたよ。今過去に戻ったらどうしてたやろ、同じことしそうな気がしなくもないな、成長してねえじゃねえか。
成績リアルにクラス内で学力一番下からのスタートでしたね。初ですよこんなの。でも全然この頃はやる気に満ち溢れちゃってましたから、その次のテストはクラス内10位まで上がれたんですよね。それ以降は順位上がることはなかったのひでえなマジで。
てな感じで常にクラス内での立ち位置はアホでしたね。あるあるじゃないですか、中学でなまじ俺優秀なんじゃね???って高校きたら軽めの挫折もどきの経験しちゃうみたいなの。ここで諦めずに競争に常に参加し続けるか、開き直ってアホとして振舞う方向にシフトするかの二択しかなかったんですよね当時。なぜなら中二病の僕は、才能で、努力しないで、もしくは見えない努力で結果を出すことがかっこいいと思っていたからです。痛いです。いまだに他人からみたらこいつ痛いなみたいなこと本気で言いますからね僕、気つけてください。
てことでこのプライド中二病野郎は案の定アホとして振舞う方向性にシフトしちゃったんですよね。ここから責任感みたいなのが急激に自分から離れていきました。小学生時代からずっと夏休みの宿題は最終日にすべて片づけるタイプで全然もとから計画性は皆無なんですけど、それでも何とか不正すらせずに自力で全部提出していたんですよね、すごい自分。
不注意はそのころからあったので、宿題やったけど忘れてきましたを地で行ってたりもしましたね、放課後に何回家まで取りに返ったかわかりません。歩いて学校から取りに帰って自転車で学校戻って、友達見つけて歩いて帰って家の前で自転車ないことに気づくとかあったなあ、基本は頭空っぽなので仕方ない、治らないこれに関しては。
高校に話を戻して、無計画真面目野郎が高校生になってアホキャラにシフトした途端課題はもちろん、それ以外の提出物も後回しにして結局提出忘れるみたいな先送り逃げ癖野郎が完成したんですよね。できないのに頑張るのだせえとか心の底では思ってたんだろうな。シャバ僧、ダサ坊、ハンパ者、田舎者、チェリボーイ、Please don’t cry anymore って感じ。この頃のガキに生き様ラジオのかっこよさなんて理解してるはずもなくって感じ。一回提出しないようになると戻ってくるの大変ですよマジで。ちなみにまだ戻ってきてないヤバい。
こうやってダメ人間、俺ってやつが完成したんですけど、クラスメイトは好きで楽しかったしリスペクトもしてますね。なんせ三年間同じメンバーだったしね。クラス替えしてみたかったなんて言えない。だってあのクラス出会いねえよ、言い訳ですすいません。お前女見る目ないとかよく言われてたけど(ごめん)普通に自分に問題があるだけなので、、、だけではないか!お互い様だよなあ!!!元気してるか???ごめんな許してくれ!!!!!当時に関してはほんとに申し訳ないけど、さすがに振り返ったらおもしろすぎてありがとう過ぎる。というか貴様がおもろすぎる。最近何してるか気になるわ。逸材だと思ってるからな俺は。まあ見ないだろこの謎文章なんて。
テニス部は心残りだなあ。自分の悪いところいっぱい出てた気がする。クラスでは開き直っていたくせに部活はプライドの高さ出ちゃってたね。いじりずらかっただろうし距離感絶対むずかったよなマジごめんって感じ。現状の自分の弱点今になってやっと人にさらけ出せるようになったよ。これを大人は丸くなったって表現するのかな。違うか。今ならもっと部活楽しめそうな気がする。またテニスしようぜ。
ちなみにミセスだけはマジではまらんかったごめん。結構聞いたつもりやったんやけどね。これに理由とかはない単純に自分の感性のベクトルが違うわ、逆になんであんなにみんなミセスやったん信じられん本音か?それ、お???あ、全然別に嫌いとかじゃないです、ハマらなかっただけですので。
まあ、クラスはまた同窓会企画させてもらいますね。今度は遅刻しません。そんで金銭トラブルなんてもってのほかですからwwwwwww
3000円返してな。いつでもええで。お金って貸し借りしたら縁つなげますからね。
ってな感じで浪人しました。
浪人時代は一人を満喫して楽しかっただけだね。人生の空白ってあれを言うんだろうな。と思ったよ。他人とのかかわりとか感情が動くことしないと人生って簡単に空白作れちゃうんだから気を付けた方がいい。今の自分があるのは浪人時代があったからと言えるかもしれないけど浪人自体から得られるもの思い出せないくらいにはないと思うね。どう思いますかえ、巷の浪人経験者諸君よ。なんか得るものあったなら教えてくれ。僕がそんなたいして頑張った記憶ないからなのかわからない。
大学生時代(前編)
建築学科に入学しました。理由は自分の家は将来自分で設計したいというのをひそかに小学時代から考えていたからです。祖父の家と接続しているのがすごく嫌だったんですよね。あと親の職業柄建築系なので専門的見識を持っておくことは損ないなというのもありましたね。建築が好きで、とか建築士になりたい!みたいな憧れのような感情はもっていなかったです。
ですがこれ始めてみると面白くて、人生楽しくなるんですよね、ガチで。建築ってどこにでもあって、場所によっても違うし、設計の意図と実際の形態、空間について評価しだしたら際限ないですからね。建築には積み上げてきた歴史背景があって、時代時代の課題に向き合った建築家たちの思想が反映された実体が街のいたるところに混在しているものが面白くないわけがない。
こんな感じで建築自体はすごく好きで、設計をしてみないとわからないことが山ほどあるのにもかかわらず、設計むずすぎ辛すぎわからなさすぎしんどすぎで、思うように進まなくて逃げ散らかした1、2、3年生時代でしたね。まともに完成したことがない。ひでえマジ。笑えない。
いろいろ責任から逃げてくると、自分の人生なのに、人生設計の選択をなんとなく周りの人間にゆだねるようになってくるんですよね。まあ、大学入学までは与えられた選択肢の中から自分に可能な最善を選んできただけだから最初は仕方ないと言えどあまりにも気づくのが遅かったですね。日本の大学なんてクソ自由なのに。というのも、設計課題がやり切れていない時点で自分が設計者になる未来が見えなくて、かつ将来の不透明さに恐れて目をそらし続けていたからだと今になって言えます。
将来設計をしないならなにをするんだ、今受けている授業は何か意味があるのか、なぜみんな授業もまともに聞いてなくて、現状に不満を言いながら学校に来て適当にレポートを書いているのか、週にこんな少ない時間の英語の授業に何の意味があるのか、みんな何を考えているんだ。そう考え始めてから授業は何も頭に入ってこず、レジュメの文字は目がなぞるだけ、レポートはかなり調べて興味が出ない限り書けなくなりました。
正直、この頃学科で属していたグループはあまりにも自分にとって共感できない面白くもない合わないものだったのもあって、友達に助けられる展開とかはなかったです。もちろん全然授業に出席してなかったので家かギャンブル、あと飲み会だけいってて、で現実逃避、自己嫌悪でしたね。ギャンブルの収支だけは良かったのが笑えるんですけども、あまりにも惨めでしたし、こんな過去を歩んできた僕ですから、それを自分自身で受け入れて助けを求めることはできませんでした。弱さ、惨めな自分を見せることが恥ずかしいという気持ちしかなくて、彼女にも全然言えなかったです。まあ学年違えど同じ学科の時点で話なんて筒抜けなんですけどね。
そんなこんなで2年春まではポロポロ落としてきた単位だったんですが、秋学期で取得2単位とかいうえぐい記録をかましました。その2単位も当時の彼女がいなかったら存在しなかった2単位です。設計課題の超価値ある2単位。今となっては感謝しかないです。その時点であともう2単位を残り2年で落としたら留年が確定するという状況になりました。いわゆる留年リーチってやつです。こんだけ落としてまだリーチなの大学ぬるすぎるだろとか言わないでください。地方私立です、そりゃそんなもんです。
彼女とまあ当然話し合いにはなりまして。腹痛かったっすね。マジ。当然、自分のせいであることは百も承知なのですが、自分も変われるものなら変わりたいと思っていましたから、悪気なくて。マジで。謝罪だらけだったんですけど、違う考え方のヒントをいただいてラストチャンスいただいたんですね。
僕は大学行く意味が分からないなんて言うてましたから、彼女には、自分のためにじゃなくて私のためになら大学来れないかというアイデアをいただいたんですね。これなら行けるかもしれないって本気で思いました。でもよく考えたら大半の社会人が当たり前にやってることを、自分でその考え思いついて実行してない時点で自己中心的すぎてそんなことできない人間じゃないかって話ではあるっていう。
2年秋まで、自分的に非常に悲しい学科内の友人関係を築いていた僕ですが、春休みにサークルの合宿がありまして、それを機に結構いままで絡んでこなかった同期と関わることが出来て今僕は彼らのこと大好きでまじズッ友って感じなんですけど、それもあって春学期行けんじゃないかみたいな気もしてて、彼らも応援してくれて、ほんとこのサークルに僕いなかったらと思うと今頃退学してのたれ死んでますねおそらく。ありがとうございますほんとこれからも仲良くしてください。
そんで3年の春学期、フル単目指して始まりました。結果からいうと4単位落として留年しました。
失敗としましては、誰も取ったことのないハイリスクな授業「シンプソンから学ぶ英語ジョーク」みたいなやつ選択しちゃったことですね。さすがに自分の好奇心には抗えなくて選択しちゃったんですよね。ガチきつかった。おもろかったけどさ。先生汚いデブやし思想強いし。初回で絶望したよ。
仲いい人と一緒に授業取れたところまではよかったものの俺だけ単位落としましたね。無駄に思想潔癖なのと不器用があわさって適当にばれない程度にパクリレポートだすとか不正っぽいの苦手なんですよね。ストレスがえぐい。日本の一般大学生向いてない。ガチで。
あともう一つの授業はシンプルに落としちゃってる時点で、シンプソンは言い訳にならないっていう話なんですけど、この時点で他人のために本業、生活の大半を頑張るっていうことが出来ないことが確定したんですね。シンプルに自分の人生に絶望しましたね。どうしようもなくね?って本気でなりました。
そんで夏休み何を血迷ったか、私カンボジアに行くんですね。急にどうした、って話ではあるんですけど、また好奇心が勝っちゃいまして。簡単に何をしてきたかというと、一週間で事業を立ち上げるみたいなことです。市場調査、企画準備、営業販売を実質3日でやれっていうおもしろ企画ですね。不本意ながらこれを機に自分の人生向き合い始めて動き始めるんですよね。ええ、非常に不本意です。なんてチョロいんだ自分って感じです。
次回、カンボジアでの話、その後から現在について書こうかな。大学時代後編ってやつです。書ききれるかな。ここまでなんか悩んでるけど実際何もしてないことについて書き殴っただけやからね。これが遊びすぎて留年とかじゃなくて苦しんで留年する人の生の声です。この頃の自分を遅れてきた反抗期って呼んでます。パパごめん。
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